ばらの花×ネイティブダンサー
ばらの花×ネイティブダンサー
サカナクションが好きで聞いていたら、たまたまYouTubeのオススメに出てきたもんだからぽちっと押してみた。
すごい。
歌詞をつなげただけなのに。。。
サカナクションが好きな私ですが、正直言ってネイティブダンサーは好みではありませんでした。
しかしこの「ばらの花×ネイティブダンサー」は完全に好みに合致。
YUIの透き通った声がこの歌詞に非常にマッチしていると思います。
加えて、相鉄100周年を記念して起用されたこの曲、電車でどこかへ行こうとする若者を見事に表現できているのではないでしょうか。
1か月前からずっとこの曲を繰り返し聞いています。全く飽きない。
こちらの映像もぜひご覧ください。
{おしまい}
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京都の盆地、すごすぎる
京都を歩くと、地図でおなじみの碁盤の目を実感することができます。
基本的に道がまっすぐなので。
ただ最近京都を歩いていて思うのが、
「大通りを歩くと、その道の行く先に山が待っている」
ということ。
京都市が盆地であることは小学生でもわかるようなことです。
私もそのことを学び、社会が得意ということもあって常識だと思っていました。
でも実際に「山に囲まれている」ことを実感したのは今回が初めてなわけで。
感動しました。
大通りを歩けば、或いは運転すれば必ず目線の先に山があるのです。
加えて、大通りは基本的に碁盤の目なので随分と先まで見えます。
こうやって学校で習ったことを旅行や生活で復習したり、応用することがまた学業の楽しさに繋がるのかな、なんて思いながら嫌になるような暑さの中、京都をを満喫しました。
{おしまい}
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朝起きてSNSをするような人間になるな。
朝起きて第一にすることがSNSの確認。
冷静に考えてヤバくないか?
寝起きにSNSをするメリットあるか?
人生が上向かないのは、君が朝一にSNSを開いて時間を消費しているからにならない。朝一に開いたかと思えば、ちょっとした時間がある度に開いているじゃないか。
- カップラーメンの待つ間
- 駅のホーム
- 友だちとの会話の隙間
- 信号待ち
「走馬灯が駆け巡る!!!」という言葉でボケ担当せいやの人生が流れてくる。その走馬灯があまりにもショボすぎて粗品からツッコミが入るという一連の流れだ。
たしかにしょうもない人生だ。過去に飲んだものが豚汁か赤出汁かなんて、人生の最終盤の走馬灯に流れてくるものではない。その人の人生の思い出が思っていた飲み物じゃなかったということだ。
だが、朝一にSNSを開くような人間はどうなるだろうか。
走馬灯がスマホの画面になる。
朝起きてSNSをするようなやつは人生ですることが他にもっとあるんじゃないですか?
友人の会話を聞かずに画面を開いて何がしたいんですか?
たまにはデジタルデトックスした方が良いと思う。
{おしまい}
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人生の底から復活した人には勝てない
人生の底を経験した人と、経験していない人とでは、大きな違いがある。
いくつかあるだろうが、私の2選をお伝えしたい。
思考速度
人生の底を経験した人には、思考速度で勝つことができないだろう。それはもう仕方がない。なぜなら、彼らは人々が楽しんでいる時も、何をしているときであっても苦しんでいたからだ。考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて考えて考えていたからだ。それはもう、やるべきことを放置してまで考えていた。漠然とした問題──例えば、「生まれてきた意味」についてなど、答えのない、ことをただ毎日考えている。単純に考えれば暇で、日々の決断や努力から逃げているだけだ。
ただ、
同じ議題を何時間も考えられる体力
と
考えて考え続けた結果得られた思考速度は、
考えて考え抜いた人間が一般社会に出れば、武器になる。
現実主義
人生の底を経験した人は、もうこれ以上自分が苦しむことを回避しようとする。そうすると、どういった行動をするのかと言うと、日々の安寧を第一とした意思決定を行う。むやみに外には出ず、行事にも顔を出さず、刺激を求めない「守り」の生活をする。
後日このライフスタイルを批判するが、地獄や底を経験した人にはこのような生活をするのが良いだろう。
逆に何もわかっていない人ほど、将来のことは考えず、ただひたすらにファンタジーに生きる。このことも後日批判しようともう。
総じて彼らは現実的だ。将来のリスク分析を行い、それが必要かどうか瞬時に判断する。それはコストパフォーマンスだったり、自分の身に起きるリスクなど、判断基準は様々だ。
この追い詰められた事のない、死線が何かまだ経験していない人ほど楽観的で挑戦的。
— 𝐒𝐨𝐥𝐞𝐦𝐨𝐧@57.9kg (@SolemonBrothers) 2023年6月2日
一度その経験をすると、乱されない事がどれほど幸福だったか、それに比較したら刺激的な行為による快楽が如何に取るに足らない、不必要な事かわかるもんだ。
だから若い人ほど無限の可能性を信じていられる。 https://t.co/YBBUivcM3f
そういう彼らにはあらゆる面で勝てない。思考スピードもそうだし、判断の正確性も勝てない。おそらく貯蓄や計画性も勝てない。
ただ、思うことは、人生の底から復活する人は多くないということだ。そのまま堕落して、気が付けばどうしようもない人間になることも多いだろう。どうしようもない人達のっ屍を超え、何かをきっかけに浮上した人間を甘く見てはいけない。
彼らは、思考を放棄することもなく、解を出す。
{おしまい}
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「少しだけ人生が良くなる魔法」を教えようと思う
この世に魔法なんてないし、人生をよくするのはいつだって自分次第なのである。
したがって、そんなものを欲しがっている時点でどうかと思う。そうはいってもほんの少しの、素うどんの人生に一つまみのネギぐらいの魔法なら持っている。
結論を急ごう。
結論は、”いいね”をすればいい。
たったそれだけ?と思うかもしれないが、それだけでいい。
SNSでの”いいね”なんて無料なのでしない理由がない。
もちろん対面でもすればいい。
相手の考えや行動に対して興味を持って話を聞いてあげたらいい。否定しないことを心掛ける必要はあるが。
こねくり回して相手を肯定する必要は無い。
「いいじゃん」「そうなんだ」「おもしろいね」
こんな感じの言葉をすんなり出せるようにしたらいい。
それだけ。
素うどんのネギではない?
唐辛子ぐらいだって?
ふやけて存在価値がなくなった天かすレベル?
でも、あると嬉しいよね。
相手もこの少しの魔法を求めて君に話を振っているのだ。
そういう、「正のリアクション」があるだけで話を続けたくなる。
これに性差はないと思う。
皆も一度試してほしい。
{おしまい}
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プライベートに仕事を持ち出してはいけない
プライベートに仕事を持ち出してはいけない。
これすなわち公私二元論と名付けよう。
例えば、生業がコンサル業だった場合、親しい人と会話する時に相手の発言内容につっこみたくなる時があるかもしれない。
「今それ関係ないよね。」とか、「発言がさっきと矛盾してない?」とか。
発言の粗が見つかると、話が前に進まなくなるから訂正してみたり。。。
他にも、メーカーだと集合時間に間に合わない人に対して厳しいかもしれない。
納期とか、営業が多い仕事ゆえに時間には厳しそうだ。。。
約束の時間を守る、もしくは約束を守ることは、人として当たり前かもしれないが。
金融の人だとお金の貸し借りや、やり取りに細かいかもしれない金利で飯食っているわけだから貸したものを返してくれないことには厳しいかも。。。
借りたら返すことは当たり前かもしれないが。
サービス業の人だと相手に失礼なこと言わないとか、ネガティブなこと言わないとか、叩き込まれていると思う。友人たちの軽い冗談にも心から笑えないかもしれない。
言っていいことと悪いことがあるのは当たり前かもしれないが。
研修が充実している会社はどうだろう。報連相のレベルが高そうだ。「要件」と「5W1H」を駆使して簡潔にわかりやすく伝えることや、そもそも報連相の頻度が高いだろう。そう叩き込まれた人間は、相手からの連絡がないとキレるかもしれないw
業種やその人の性格、会社や上司の特徴にもよるかもしれないが、会社で教わったことを常識として認識すると、相手とのコミュニケーションに少なからずその会社や上司のカラーがにじみ出てきて相手を苦しめることになる。
僕らができることは公私を分けて相手との時間を楽しむことだけだ。そこには上司の顔とか、会社の常識を思い出さなくていい。むしろ会社の外では別の人間として会社とは違う世界を楽しむつもりで過ごすことができれば、世界が広がると思う。
故意的な二重人格で楽しもう。スイッチのON・OFFを使いこなそう。
プライベートに仕事を持ち出してはいけない。
{おしまい}
いつも読んでいただきありがとうございます。
人生の楽しみ方が分かった気がする。
人生の楽しみ方が分かった気がする。
結論から書こう。
「移ろいゆく季節を楽しむこと」
これにつきる。
お金はあった方が良いけれども、多くなくても問題ない。
- 春は桜を見て
- 夏は涼を求めて
- 秋は美味しいもの食べて
- 冬は温泉に入って
こんな感じ。
四季の中で上記以外にもたくさんの楽しみ方があると思う。
特に冬はイベントが多い気がする。
カニ・クリスマス・温泉・お正月・鍋・バレンタイン・雪遊びなどなど。
秋だって、紅葉があるしスポーツをするには最適な季節である。スイーツもこの時期になると様々な果物や野菜で作られて目移りしてしまう。
夏にはBBQもいいね。海も川も行きたい。ウナギも美味しいし、ビアガーデンも最高だ。お盆には親戚と合ったりしてさ。
春は桜が散って、も今度は新緑が映える時期になってまた外へ出かけたくなる。
GWを使って旅行することも外せない。
こんな風に思ったタイミングが訪れたのは、イルミネーションが始まった冬の頃である。仕事帰りの人々がとても楽しそうに写真を撮ったり、軽やかな足取りで歩いているのを目にした時だ。
それを見ている自分もなんだか心が躍ってきた。
春には背割堤に出かけた。
駅から目的地まで歩いている途中、桜並木が出迎えてくれる。
老人が比較的多かった行列も、その桜を見て声を漏らしたり、足取りが軽くなった人が多かった。
そう、日本には四季がある。
せっかくなんだから、それを楽しまなければもったいない。
季節によって表情を変える自然・その季節にしかできないイベントを愛で、そしてそれらに身をゆだね、親しい人たちと思い出を作ること。
それが人生を豊かにするということじゃないだろうか。それが、人生楽しむことに繋がると思う。
それらのイベントに向けて予定を立てたりすると、そのことを考えるわけだから毎日がイベントになる。
毎日を楽しむ、それすなわち人生を楽しむということ。
いいね。
{おしまい}
いつも読んでいただきありがとうございます。