ランジャタイの面白さをあえて説明する
これは3月9日の下書き(手書き)を書き起こすものである。就職活動の現実逃避として、手書きで下書きを書いていた。ま、本題とはそれるのでこの辺に。
私はランジャタイが大好きである。
しかし、この気持ちに共感してくれる人が少なすぎる。友人や家族に布教しても、ランジャタイ漫才は彼らに響かなかった。
そんなことあってたまるかという思いで今日は書いていく。
ランジャタイがいかに面白いかを、対面で説明することが少し恥ずかしい。
(論理的?に説明することが恥ずかしい)
したがって、「文字にして伝えたい友人に書く」つもりで書く。
ランジャタイについて
ランジャタイについて知っておいてほしいことは、
特にない。そう。何もなかったのだ。
強いて言うならサンドウィッチマン擁する「グレープカンパニー」に所属している。
共にNSC東京校12期出身(2006年入学)同士で、同校在学中に知り合う。入学2日目に伊藤が“鳥取の怪童”を名乗り「お前、面白いんか~?」などと同期生数十人に絡み続け、ただ1人「うん面白いよ~」と答えたのが国崎でこれをきっかけに仲良くなった[8][14]。ネタ見せの授業には参加せず観る側だった[13]伊藤が、授業中に和気藹々としていた同期らに対して「お前ら、ここは仲良しクラブじゃないんだよ!」と叫んだことによりわずか2~3か月ほどでNSC退学を言い渡される[15]。それを回避するべく西大井駅周辺の街でゴミ拾いをして国崎も手伝ったが覆らず、伊藤はそのまま退学[6]。ゴミ袋を両手に持って泣きながらNSCを去る伊藤を面白いと思った国崎は、コンビを組むため伊藤の後を追いかける形でNSCを自主退学[6]。
コンビ結成秘話をはじめ、テレビでよく紹介されるランジャタイについての情報はウィキペディアを参照していただきたいと思う。それか、彼らのYouTube。
ランジャタイの楽しみ方
ランジャタイを見る時は
「黒い服を着た通行人(伊藤・ロン毛)が、奇人(国崎)に話しかけられて困惑する一部始終」
という舞台設定を追加する必要があると思っている。
そもそも彼らは一般的な漫才をしているわけではないから、見ているこちらも一般的な漫才としてみるのは良くない。と思う。
そうしないと、突っ込みの役割を担う伊藤が無言である状況を理解できないだろう。
そして、奇人(国崎)が作り出す世界観についてこれなくなる。
よくコンビ芸人では、「じゃない方」という言われ方をすることがある。
端的に言うと、コンビ名を聞いてパッと名前か顔が思いつかない方だ。
(個人的な例:ジョイマン、見取り図など)
ランジャタイ初心者ははじめ、突っ込まない伊藤に対して、「じゃない方」と認識するが、残念ながらランジャタイの "核" は伊藤の人間性にあると思う。
袖で1.2回ほど、相方とネタをあわせた。
相方は、事情も知っているのに、やりだすボケに対して、普通にあははと笑っていた。
こいつもとんでもないなと思った。
{国崎の祖父が亡くなった翌日、祖父が成仏できないというネタを急遽ライブでやりたい要望を受け入れ、(タイミング的にも不謹慎な)ボケに対して笑っている伊藤}
ネタではボケの国崎がヤバい奴のように感じられるが、それを凌駕するヤバさが伊藤にはある。
何がどう面白いのか
先ほど述べた方法を実践していただくと、十分楽しめるかと思う。
しかし、彼らの魅力をまだ書いていなかったので書いていこうと思う。
先述した通り、彼らは一般的な漫才をしているわけではない。しかし、彼らの芸風が成り立っていないかと言えばそうでもない。
しっかりとしたオチが用意されていたり、奇想天外に見えて実は骨組みは王道だったりするのだ。
そんなランジャタイの中でも、私が好きなネタをいくつか紹介したい。
「宇宙の真理」
「iPhoneのつくりかた」
「サザエさん(の真実)」
「TMラーメン」
「太鼓寿司」
「お鍋の美味しい季節になってきました」
・・・などなどである。文字だけ読むとオカルト漫才のように解釈できそうだが、かなり面白い。
ランジャタイを面白くないと感じる人は、彼らの漫才を要約してみるといいかもしれない。
例えば、最もポピュラーである「風猫」を要約してみる。
─────風の強い日に外に出ると猫が飛んできたので、家で飼うことにしたら耳から体内に入ってきて体の中から操られた。
という話である。
文字にすると、よくわからないことはない。むしろわかりやすい。
さらに、構成として一番しっかりしていておもしろいと感じるのが、「太鼓寿司」「サザエさん(の真実)」である。
見ていただいた人には伝わると思う。
オカルトどころか、「『星新一のショートショート』のような不気味さ」を感じないだろうか?
志らく師匠などは、彼らを評するとき「落語みたい」という。
巧みな話術で一見するとわかりにくい設定を観ている人に理解させているからだ。
私もそう思うが、それが面白さなのかと言われると違うと思う。
彼らを面白く感じる要因は、
日常の閉塞感を打破してくれているから。
そして、子供の頃の if を大人が代わりにやってくれているから。
だと思う。
もちろん落語みたいな話術も、ショートショートのような構成も魅力であり、強みだと思うが、直接的な面白さには関係してこない。それらは、どちらかと言うと「すごい」という感情を生む。
日常を打破してくれる芸風とそのネタは、モラルやハラスメントに雁字搦めのテレビ局と現実世界に風穴を開けてくれる存在なのだ。
誰かを貶して笑いを取るのではなく、ランジャタイは今までとは違った角度から笑いを取ることに成功した。
この笑いは青天井なのである。
これが面白いのである。
第三者を利用して笑いを取る場合、どうしても枠組みを設けられ、「枠から出る=炎上」となる。
現在のテレビだけでなく、私たちが生きる日常はその枠組みをあらゆる場面で意識せざるを得なくなっており、どことなく閉塞感が漂っている。
しかし、ランジャタイは誰も傷つけない芸風であるため、笑わせ方に制限がかからない。だからこそ、私たちが思いもよらないネタや話術(バラエティー番組・YouTube)であふれている。
それが新鮮であり、面白い。
そして、よくわからないと言われるネタの主題。
いくつか例を挙げる
- 猫が耳に入った
- 東京タワーを圧縮するとビッグマックになる
- 鍋で煮えたぎった出汁を頭からかぶってみた
- 間違えて別の店に入ったら臭かったので「クセェ~」と言っちゃった
- ウィーン少年合唱団の中で別の曲を歌ってみたら
─────文字にするとまるで子供が考えてそうなネタだと思わないだろうか。
まるで子供が
「もし~~だったらさー面白いよね」
を数分間で実践しているかのようである。
今となっては口にすることも、行動に移すこともできない if をやってくれているのだ。
数十年前の答えあわせなのである。
大の大人が子供の疑問に全力で答える漫才。
面白くないわけがない。
さいごに
夏も終わる頃とはいえ、まだ残暑もすさまじいですから。
ホラーネタを最後に紹介します。
{おしまい}
いつも読んでいただきありがとうございます。
下書きとは全然違う話になっちゃった。