TENの考察日記

楽しく書いてるので気楽に読んでね。

苦労は買えないが宝物になる

今週のお題「今月の目標」

 

苦労はやがていい思い出へと昇華するのである。

 

はじめに

 私がTwitterでフォローしている中に広瀬隆雄という人がいる。

愛称は「じっちゃま」。

彼は主に米国株式の情報を発信し、強烈な信者と強烈なアンチと共にTwitter(あるいは資本主義)を闊歩している。彼は基本的に金儲けが好きだが、本当に大事なことや心構えは無料で発信している。(とTENは思っている。)

 

 そんな彼が、noteにこんな文章を無料で公開している。弱冠(本当は21)の私が首がもげるほど頷いて読んだnoteである。

 

おとなが苦労話をするのは、それが楽しい思い出だから|広瀬隆雄|note

 

 彼ほど簡潔にわかりやすく書ける自信はないし、この記事を書くと決めた時、分量は気にせず書けるところまで書こうと考えた。とにかく上記のURLは土台になるので1度読んでみてください。

 まぁ、ここに要約した文を載せるんですけれども。

 

 要するに

  1. お金で買える経験や物で得られる幸せはどこかで限界がきて、
  2. 過去の経験として色あせていく。
  3. 一方の苦労はお金では得られないが、
  4. それがいつか楽しい思い出として強烈に残る。

 ということが書かれている。

 

皆さんはこの意見に対してどう思うだろうか。私には、共感できることが多くある。ここ数年で思いつきこの考えを持っていたが、似たようなことを書いている人(つまりじっちゃま)を見つけた。まぁ、書きたいと思ったので二番煎じだが書くことにした…。

 

 

あれから1年

 ちょうど1年前、厳密には1年と数日前、私はとてつもない状況に置かれていた。採用してくれたベンチャー企業で本格的に働き始めて3日目。いきなりすべてを任されるようになったのだ。

 

 事件前日の夜、いきなり

 

「有給をとる」

 

という旨のLINEが上司からきた。

まさかと思って別の上司に相談した。優しい上司なので翌日休みであったが助けてくれると思っていたのだ。

返ってきたメッセージは、

 

「頑張ってください。何かあったら電話を。」

 

とのことだった。…そんなことあるだろうか。イロハのイどころか、イと発音する瞬間の「ウィ」「w」ぐらいしか教えてもらっていなかったのだ。

 

 

当日、当然のように何かあったのでその優しい上司に電話した。

所謂トラブったというやつだ。

電話がつながると、明らかにジェットコースターの音が電話から聞こえてきた。

奥さんとUSJにでも行っていたのだろう。

ひそひそと話す彼の声がジェットコースターの音と乗客の悲鳴で見事にかき消されていた。

 

何度もトラブったので何度も電話したが、何度もジェットコースターの音と悲鳴が聞こえてきた。

 

そんなこんなで常に独り言をつぶやき半泣きになりながらも、放置された7時間を無事に終えることができた。無事だったのは奇跡である。奇跡が起きたおかげで今の自分があると言ってもいい。そして、トラブルを快く、なかったことにしてくれたお客様には感謝の気持ちで一杯である。

結果、何とかなったのだが、その7時間はとてつもなく苦しい時間であった。

しかし、この話はネタになったし、今でも鮮明に思い出すことができる。7時間放置された後、助けに現れた友人と時々この話をして盛り上がるぐらいには楽しい思い出だ。

 

 あの時は緊張からくる腹痛もあった。そしてエアコンの効いているフロアなのにも関わらず大量の汗もかいていた。今でも断言できるが、本当にとんでもない状況だったのだ。

 

だが、それが自分にとっての非日常だと感じている。これがじっちゃまの言っていることだろうと推測できる。

 

この出来事以外にもトラブルを起こして精神的に参っていた時もあったが、それも非日常として今では思い出となっている。

 

おとなが苦労話をするのは、それが楽しい思い出だから|広瀬隆雄|note

 

このページにはお金で買えるモノやコトで得られる幸せには限界があると表現されている。

 凡人は、SNSで目にした富裕層の消費に嫉妬や羨望のまなざしを向けるだろう。

「上を見たらきりがない」とは、このことである。

 一方の富裕層は、ある程度満たされたとき、飽きや慣れがその人の心を曇らせていくのあろう。いまさら若者のようには動けない。

 富裕層のことはわからないけれど、私たちだって

「お金を払ったけどこんなもんか。」や、

「あれと類似している」といった感覚を過去に覚えた人は少なからずいるはずで。

 

 例えばホテルのスイーツとか。レストランのお肉とか。インスタ映えを狙って逆にコモディティ化してしまう商品とか。

ununkown.hatenablog.com

 

 じっちゃまが言うように、むしろそういった消費の思い出しかない人はどこかつまらない人かもしれない。

 

 

それならいっそ、100均の着火剤を買ったが故に炭に火が付かず、雰囲気が一瞬悪くなったけど、肉の焼ける匂いとアツアツのご飯とうまい肉で満たされてみんな満足したBBQの方が思い出に残るのではないだろうか。

ununkown.hatenablog.com

 

 

それとか、

超が付くほどの貧乏旅行で迷子になったが、現地の人たちがみんなで助けてくれたこと

英語ができなさ過ぎて両替機を探していたのに、充電器エリアに連れて行ってくれたこと、

 

バスが停まらないから走って乗り込んだこと

のほうが思い出になるような気がする。

 

ununkown.hatenablog.com

 

ununkown.hatenablog.com

 


 

○○とはよく言うけれど

 「苦労話をするのは老害だ」という考え方がある。だけれど、その人が経験した苦労は唯一無二のものであり、誰かに話したくなるぐらいのモノなのである。

 

 「若いうちは苦労を買ってでもした方が良い。」と言う言葉を聞いたことがある。大人が言うのだからそういうことなんだろう。

苦労はお金では買えない。でも、お金で買えないからこそ、それが唯一無二であり振り返れば楽しいものになるのだ。

 

つまり目標は

 1年前を振り返って自分が成長できているのかは甚だ疑問ではある。しかし、たとえ成長していたとしてもこれから苦しいことは起こりうる。だから今後も折れない。いつか笑い話になると信じて突き進むのみ。

 人生のハイライトを今作っているのだ。と言い聞かせれば何とかなるような気がしている。消費で得られる楽しみはそれでいいとして、いつか飽きがきても人生に色を持たせるかのように苦労をしていきたい。薄い人間にはならない。

 つい先日、新しく1名(2名かも)を会社が採用した。きっとその人もこれまでに経験したことのない苦労をこの職場でするだろう。だが、折れないように頑張ってもらいたいし、何とかサポートできるところはポンコツなりにサポートしたいと思う。

 

 

 

 

{おしまい}

いつも読んでいただきありがとうございます。