自転車限界旅 in 滋賀
今思い返すとなかなか弾丸旅だったと思う。
にも書いたように、(自称)暇人の友達2人との都合が合わなかった。
しかも2日目の天気予報は雨とわかり、カナーリ大変だった。
以下、記録を書きなぐっていく。
出発前
友達2人のスケジュール、さらに雨予報も重なり、なるべく濡れないように帰ってくることが条件となった。そこで浮上した案が、深夜出発である。
ここで出発の日のTENの1日を簡単に書いていきたい。
- 8時起床、9~10時美容院
- 11時半家族で寿司
- 13時半バイト先へ出発
- 21時帰宅、風呂や晩飯22時半完了
さて、身体は寝る準備に入っているが、頭は興奮している状態。24時集合なので仮眠は1時間できる。もちろん、案の定、やはり、仮眠などできなかった。
集合、出発
1番に集合場所に到着して友達2人を待つ。ほどなくして友達と合流したが、やはりみんな興奮気味であった。そもそも深夜に出歩く機会も減っていたから、とも考えられるが、まぁ、全員これからたくさん漕ぐことが楽しみだったと思う。
出発すると開始5㎞は一瞬であった。
「これをあと30セット?余裕余裕」など言いながら漕いでいく。
順調なのもつかの間。開始10㎞、なぜか急に気温が低下していく。
めちゃくそ寒い!!
この日はこの軽いスリッポンを履いていたのだが、寒い。それはもう寒い。禁断の靴下2枚重ねを行使している友達もいたが、意地でそれはしなかった。だって僕は靴下2足しか持ってきてないもん。
しかし、淀川の河川敷沿いを走行中、限界にぶち当たる。緊急でカイロを購入し、足裏に忍ばせる。実際にカイロが行っていた役割は、発熱ではなく防風だったことをここに書き残しておきたい。50円、そんなもん。友達は手が痛すぎて手袋を買い増していた。
京都
さて、ほどなくして京都に入るわけだが、その頃には足の感覚がなくなっていた。そのうち本当に壊死して取れるんじゃないかってぐらいには自分の身体とは別の物体でる。石清水八幡宮の目の前で信号待ちしている時、友達がマップで行き先を確認していた横で座り込み、足をもみもみしていた。前日の俺が恨めしい。足が痛い。
4時ごろに初めて少し長めの休憩を取った。15分間でトイレ休憩と軽食を摂る。4時間漕いで、太ももが少しキテいると自覚した。TENは、普段からコンビニのトイレで空気椅子の姿勢になって用を足しているのだが、5秒でバランスを崩してしまった。幸いにもまだ関門を開けてはいなかったので大丈夫♡。「第一次そろそろ引き返したいかも」は午前4時ごろに訪れたことを宣言する。
一度屋内で風をしのぐと、出発するために腰を上げることが億劫になる。
なんとか踏み出した外は相変わらず寒い。
普通に引き返して暖を取り直した。
そうは言っても2時間後には 難所の小関峠も超え、日の出の時間までに琵琶湖に到着することができた。小関峠は2度と通らん。
滋賀
ここで、議題が勃発する。
- どこで宿をとるのか。
- 本当に琵琶湖を一周するのか。
そ~です!ほぼ無計画で滋賀まで来てしまいました~!
とりあえず、マキノはメタセコイア並木まで行ってから考えることになった。個人的には「第二次そろそろ引き返したい」宣言を出したい状況であった。
後者(1周)はもう誰もが無理だとわかっている。だが、宿泊先に関しては意見が食い違うため、保留という形になった。今となっては、この時保留してよかったと本当に思う。
突然ですが、これ、なにかわかりますか?そうです。琵琶湖です。ちなみに、黄色が大津、青が雄琴、赤がマキノです。おおよそですが、大津から雄琴が10㎞。雄琴からマキノまでが50㎞になります。点の位置がおかしい?気にしないでください。
話は走行中に戻る。大津で朝ごはんを食べ、顔面の右側で水面の乱反射を受け止め、雄琴まで漕ぐ。「第三次そろそろ引き返したい」宣言の発令だ。かなりしんどい。
消費体力/㎞
が、明らかに序盤と異なる。雄琴で温泉入って、寝て、帰って、もいい気がしてきたが、とりあえずマキノに行きたいと言い出したのは紛れもなく自分である。目的地まで残り5時間。ここからが異常に長くて苦しかった。「30セット余裕」とか言っていた頃に戻りたい。
運命
朝8時に起きて24時間漕ぎ続けたわけだが、記憶が本当になかった。脚だけが同じところをクルクル回っている状態だ。記憶がないのはまだいい、判断力の低下が著しく、遂に歩道に立つポールに激突した。これ、おそらく皆さんの想像する石柱よりふた回りほど大きい。
走行は時速15㎞ほど。避けきれず膝がやられた。
我が名誉のためにことわっておくが、この狭い歩道を友達二人が視界を占領し、最後尾の自分が前方を確認できない状態であった。会話に入るためには3人で密集しながら漕ぐ必要があった。
細かい話になるが、ここでぶつかったわけではない。もう少し開けている場所であった。石柱もこれより高い。道幅を示す白帯はなかった気がする。
心配してくれる友達になんだか申し訳ないので行けると振舞ったが、数時間左脚に体重をかけることができなかった。角にぶつかったため、ひびが入ったと本気で思ったが、幸いにも右脚の推進力で続行した。
何とか白鬚までたどり着き、アイスを食べ…スマホの方が綺麗だ、なんでだろ。許して!
ちなみに、この頃から全員ケツ(尻、おしり)が悲鳴を上げていた。固いサドルに座りっぱなしで骨が痛かった。座り方を変えて何とかごまかしていたが、そのサイクルが早くなるどころか、立ち漕ぎしないと困るぐらいに痛かった。もう、座るという行為そのものがダメになったのだ。
苦しみながらも白鬚から2時間後に到着した。今思うとほぼ琵琶湖観てないし、写真も全然撮れていない。前回のブログで写真撮るとかほざいていたけれど、普通に無理。
ここまでで約100~150㎞。 この時点ですでに正午であった。信号やトイレ、坂も影響して10~15㎞/hなわけだ。先ほど書いたが、どこに泊まるかの話題になった。切り替え速すぎワロタ。自分泣いていいですか。もうすでに尻(ケツ)も左脚も心もやられてしまっているのだ。だが、明日の雨にかかりたくないという意見が出るため、大津まで60キロ漕ぐことになった。
えーと、昼ご飯と夜ご飯と体力を考えたら20時チェックインですね。
自分、泣いていいですか?
結局大津プリンスホテルに泊まろうという意見に同意し、最終的に予約したのは自分とはいえ、今から60㎞かと思うと腰が思うように上がらなかった。
友達には悪いが、本気で大津まで行く気に引いた。自分はけが人で、自転車のスペックも高くない。全員のチャリに何かしらの問題があるとはいえ、基本的スペックは以下の通りだ。
1万円のチャリ(TEN)
- シティサイクルの籠と泥除けを外したようなもん
- 重たい
- 6段ギア
一方の
3~5万のチャリ(友人たち)(相場)
- 軽い、圧倒的に軽い
- 18段、24段ギア(推進力が全然違う)
けがもして、スペックもかなりの差があるにもかかわらず、食らいついて離さなかった自分をもっと褒めてほしいぐらいなんだわ。
だが、彼らには本当に感謝で一杯である。先ほどから文句をつらつらと書いているが、ここまで12時間ずっとマップを見て案内してくれた。元をたどれば、琵琶湖まで行きたいという願いを叶えてくれたのも彼らだ。本当に感謝している。一人だったら何とか大津までは行けたものの、引き返しているだろうし、けがをしたら一人でうずくまっていただろう。彼らの存在が本当に支えになっていた。ふたりとも、どうもありがとう。
終わりみたいな書き方をしているが、まだまだ続く。
折り返し
人生初ココ壱番屋を訪れ、定期的にアイスを食べながらなんとか順調にホテルが見えるところまでたどり着いた。見えてからが長くてウザかったが、それはもう忘れてあげる。
大津プリンスホテル
立派でした。ありがとうございます。これはまた別の機会に詳しく書かせていただきます。
ホスピタリティが最高。はい。
よくテレビでも紹介されるため、良い所というのは漠然と知っていたが、ここまで素晴らしいとは思っていなかった。
やっぱり少しだけ書かせてください。
アルバイトでホテルに勤務しているため、豪華な内装には慣れていた。それでも客として入る時は胸が高鳴ってしまう。ロビーに突如として現れた汚い恰好の人間に対し、嫌な顔せず駐輪場の案内、チェックイン業務を丁寧にしてくれた。
あぁ、自分は今ホテル利用者なんだと改めて感じた。良いホテルの"利用者"として過ごせることは、自分にとってめったにない経験だ。
伝わるかなぁ~。
日常から解放され、至れり尽くせりサービスを受け、学生ながら一人の客としてみなされる感覚。これ、ほんと最高。朝8時に起きたので、単純計算ですが、37時間ぶりの睡眠は最高でした。(友達がベッドから落ちて以降0時から2時間毎に起きた。)
昼食
2日目の朝、ホテルに別れを告げ、ひたすら漕ぎまくる。5時間後、自宅までのめどがついたため、雨宿りもかねてステーキチェーンに入った。最後の晩餐ということで馬鹿みたいに頼んで馬鹿みたいに食べた。ホテルのアイスじゃんけんをするつもりが、予定が狂いステーキじゃんけんになった。
3人分の豪華ランチである。
高鳴る心臓…
普通に負けた。
────────────
「お会計は7000円になります。お会計はご一緒ですか?」
「残念ながらご一緒になりました。」
店員さんのかわいい笑い声が聞けただけ良かったと思う。
────────────
とどめの1時間走行で無事到着。
最後に
最後まで駄文にお付き合いくださいましてありがとうございます。
最後にこの場を借りて僕の友人たちに向けてのお気持ちを表明させていただきます。
2人ともありがとう。
最後に7000円の出費はかなり痛い。が、今思うと、25,26時間も先導してくれたことに比べたら大したことではないと思えてきました。近いうちにお礼でご飯を奢るつもりでしたが、それがステーキになったと思ってください。将来的な出費を減らせたので、本当に得したのは、僕です。
{おしまい}
いつも読んでいただきありがとうございます。