TENの考察日記

楽しく書いてるので気楽に読んでね。

誰のために生きるのかを考える

はいどうもTENです。

 

 色々あったこの1年、終始嫌なことがありました。「仕方ないですましたくない」のが本音です。大事な20の年をこのような1年で終わらせるのは何とも言えない気分です。旅行の中止から始まり、旅行の中止で終わり、友達の誘いも断らざるを得ない状況が何度かありました。

 

 

 「過保護」という言葉がありますが、その言葉をもう10年ぐらい、周りから言われています。一人暮らしすらも許されない家庭(京大生になればできた)で、特に今年は無力を思い知らされ、気力だけが奪われていく1年でした。まぁ、今度詳しく書きます。

 

 そんな1年でしたが、あるひとつのことを学びました。

 

早速本題に参ります。

 

【誰のために生きるのか】

 今年は、この問いについてひとつの答えを導き出しました。アルバイトをしていたり、普段何気なく生活している中でこれを軸にして考えると心身が楽になりました。

 

 

 

「この人生はいったい何のためにあるのだ」

 

 

9,10,11月にざる得ないような出来事ばかり起きてしまい、夜に眠れない日が続きました。嫌なことが立て続けに起こると人はストレスで眠れなくなるんですね。そんなこんなで迷走していた時、ある動画に出会いました。


又吉直樹氏 「バッドエンドはない、僕達は途中だ」 平成29年度近畿大学卒業式

 

ちょっと長いですけど、どうか観てもらえればと思います。

 

 

 

この動画で得たこともありましたが、これを観て思いついたのが

 

自分が中途半端なのにもかかわらず、他人に対して意識を向ける必要はないということ。

 

 

 自己中になれと言っているのではない。ただ、大事なのは相手の人生ではなく、自分の人生だと考えたのだ。そもそも自分の人生をどうにかしなくてはいけない時に相手のことにかまっている暇はないのデス。まずは、自分が自立歩行できて、それから他人に対してアプローチするべきなんだわ。自分が自分の人生を歩めていないのに相手の助けに応じて共倒れなんかしてみろ、最悪だぞ。

 

 自責という言葉をテーマにしてきたけど、それは自分の人生を歩んでいないと冗談でなしに足かせになる。他人に寄りかかっていては、何かあった時どうしても責任を転嫁してしまうジレンマが訪れる。自分のリソースは限られているのだから、相手を助けるのはそれを全て自分に使ってからでも遅くはないだろう。まずは、自分がどうしたいか。それを出発点にすることが大事。

 

 

 

 なぜ人は相手に意識を向け、さらに限られたリソースを割いて相手を助けようとするのだろうか。これは完全な憶測だが、そうすることで存在意義を確認しているのだろう。誰かの役に立てていこと、それは大変喜ばしいことである。実際に大富豪が行きつく先は財団などを設立し、寄付や支援を行うことである。逆に言えば、すべてを手に入れた人だからこそ身を削ることが可能だともいえるのではないか?もう少しスケールを落として考えると、彼らは仕事が終わっているからこそ他の人の仕事を手伝えているのである。一方のTENはというと、自分の残量がわからないまま相手の仕事を請け負っている状態である。

 

 

 まずは自分が自分で歩けるようにさせる。

 まずは自分が楽しんでから相手を楽しませる。

 まずは自分が出来てから相手をできるようにさせる。

 

 

 

 

 

 言い方が悪いし、繰り返しになるが、相手を助けるということは相手にリソースを割くということ。まずは自分のために生きろ。話はそれからだ。

 

 

 

 

 

{おしまい}

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

 

 

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