TENの考察日記

楽しく書いてるので気楽に読んでね。

他者を理解するとは?

はいどうもどうもTENです。

 

f:id:ununkown:20200723224106p:plain

今日は哲学の中の他者経験について書いていきます。

 

 

 

はじめに

 春学期に自分は哲学の講義を履修しました。というのも、高校では倫理という授業に絶望し、大学ではちゃんとした講義を受けたいと思ったからです。決して高校の先生が悪いのではなく、受験のための授業時間しか用意されていないという現実がそうさせていました。

 

 

 

高校三年生の時、一度先生に聞いたことがあります。

「先生が議論の大切さを説いているのに、授業の形態は先生が一方的に話していますよね。」

 

そしたら先生が悲しそうな目で生徒全員に訴えかけました。

 

「TEN君、高三から倫理の教科書を網羅するためには仕方かないんだ。先生だって本当は一年から倫理があったら何時間でも議論するんだ。」

 

ああ、そういうのは大学に入ってからだな。と理解し、胸膨らませて迎えた哲学の講義…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもんねぇ~~*1

 

 

(期待)-(講義の現実)=失望

 

この失望分をどうしてくれるのか。

答えはもう、このブログでアウトプットして、少しでも講義を受けた意味を見出すしかないのです。

 

 

 

本題

はい、本題です。

今回は他者経験について、、他者経験とは…??

調べても出てこないんですよねぇ。なんだこれ。

 

簡単に言えば、相手の内面(他我)を理解(経験)できるのかということを考えるものです。

 

 

ある昔の偉い人は、「人はまず、類推することで相手を理解する『類推説』を用いる」と考えたらしい。

 

  1. 自分の感情と身体運動には関係性がある。
  2. 相手が、身体運動しているのを知覚する。
  3. その身体運動をしているということは
  4. 自分の経験上こういう感情だ!!

という流れ。まぁ、ふつう相手を理解するときに全員がこの方法を使うはずなんですけど、これはどうやら哲学的(現象学)にはだめらしい。というのもこれまた昔の偉い人が言っているんですけれども、他者の身体運動と内面を切り分けて考えるのはおかしいんですって!!

 

 

現象学の付帯現前という考え方で心は身体とともに現れている。らしい。

つまりこれをベースに考えると、一度知覚したものを論理的に切り分けて考えるのは現象学ではないんですよね。そんなことしたら、まず、意識のない物体が動いているとこちらが知覚しないといけないらしい。

 

 

 

ちなみに現象学とは何か、現象学的還元を用いて人間の世界を解明する学問です。

 

じゃあ、現象学的還元はなにかと言われれば、現象学の「意識を意識以外のものに向かわした(志向性)時に現れる現象」をもとにあらゆるものをありのままにとらえなおす方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、カバンに入れたリップを考えて初めてリップがリップになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、地面が、意識の中で歩行を支えているものと捉えることができたから地面は足の裏の感覚しかないのに存在していると信じることができるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信じられるか?

今日のテーマは

相手の内面を理解できるか」だぜ。

自分でもなに話しているか分かんないぜ。

 

 

 

 

本題②

はい、それでは話を戻しまして、

「相手の内面を理解できるか」という問いの答え書いていきます。

 

 

  • ある文脈において共通する関心を共有していれば、内面を理解できる。

 

  • そもそも理解できてる。

 

まず一つ目。

タクシー運転手に「タクシーの運転できますか?」と聞く必要はありませんよね。それは一方が運転手で、他方が客だと双方が理解しているのから、つまり、ある場面でお互いがどういう立場なのか分かっていれば他者の気持ちが理解できているのです。

 

 

そして二つ目。

あらゆるものは他者とのかかわりを持って存在しているらしい。石ころですら。石ころは他者と関わっていないという状態で他者と関係を持っているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに例として、店に売っている椅子を想像してください。椅子の作成者にこうやって使ってくださいと教えられたわけでもないのに、全員使うことができるはずです。つまり、他者と離れた状態での意思疎通に成功しています!!つまり、相手の内面を理解していますよね。さきほどの石も同様に、ただ転がっているように見えるけれど、石にとっての他者がそこにいないだけで、放置されているという関係があるということです。何かしらのモノも、他者の内面を通して使っているのだから、人が一人では生きていけないと言っているのも間違いではないのかも。

 

 

 

 

ただ、ここで問題点が出てきます。偉い人が「相手を理解できるということは、それ、自分の一部じゃないのか?」と投げかけました。「お前は俺の手足となれ」とか「お前は大事な右腕だ」とか言うのであながち間違ってないのかも。

 

 

つまり、彼によれば他者とは、自分の想像を超えてくる存在だということ。

 

 

 

あれ、相手の内面は理解できないものなのかも。

 

 

 

まとめ

中途半端な終わり方をしました。というのも、こういったものには本来答えはないと考えられるので、自分なりの結論を持つ必要があります。ちなみにTENの答えは…相手の内面は理解できないものだと思っています。だってさ、相手を理解できていたら哲学の講義を取り消すことができたはずなんですよね。

 

 

 

{おしまい}

 

 

 

なんか怖いので簡素な参考文献載せときます。

 

   https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/osore02

 

 

 

ununkown.hatenablog.com

 

*1:そこに期待していた議論はなかった。オンラインの影響もあると思うので、決して先生を非難しているわけではない。