TENの考察日記

楽しく書いてるので気楽に読んでね。

映画『最強のふたり』を観て多様性と平等について考える。

多様性と平等

今のアメリカを見ていて考えさせられる言葉である。黒人男性が亡くなった数日前、たまたま『最強のふたり』という映画を観た。この映画のすばらしさが今回の事件をきっかけに再注目されてほしいと心から思う。きっとこれを観ればみんなの考え方もはっきりするんじゃないかな、知らんけど。

 

 

 

 

f:id:ununkown:20200703203658p:plain

 

つい先日、映画『最強のふたり』を観た。

上の画像を観たらだいたいわかりそうだが、車いすのおじさんとやんちゃそうな若者の話である。今回は先に『最強のふたり』の面白さを書いてから多様性と平等について考えていく。

 

 物語はいきなり警察に追われるところから始まる。こんな始まり方をしたのだからふたりが連携して警察から逃げる系の映画だと思っていたが、そんな内容ではなく、車いすの介護を通してふたりの絆、そして多様性と平等を描いた映画だった。そしてこれは実話をもとにしているというのだから驚きだ。気が付けば僕は泣いていた。

 

 物語のベースは車いすで癖が強いと考えられているフィリップと、仕事がなく地元の友達と朝まで騒ぐドリスのふたりが作る。すぐにフィリップの介護士が辞めていくため、今回も開かれた面接会場に仕事を探しているという証明が欲しいドリスがやってきた。ドリスは受かる気などなく、失業保険が目的で面接履歴が欲しいだけだったのだが、フィリップはなんと合格させてしまう。まわりはすぐにやめるだろうと思っていたが、案外根気のあるドリスは使用期間中に逃げ出さなかった。そこからはお互いのしたいこと(パラグライダー、絵描き、車いす爆走、恋愛)を一緒にしていく。これらは非常に笑い要素が大きく、面白い。

 起承転結の「転」の部分では、あることがきっかけで序盤の癖の強いフィリップに戻ってしまうのだ。そこから数日後に物語の一番初めのシーン、つまり警察に追われるところにつながる。警察のワンシーンの後、ほどなくしてまた二人の絆が深まり物語はいつの間にかエピローグへと話が進む。何回も言うが、気が付けば僕は泣いていた。それぐらい理想的な終わり方をしていると僕は思う。書いてる今も思い出してやばい。本当にみんな観てほしい。

 

 

 これが映画として面白いのはコメディの部分もあるが、おそらくこの映画の主題であろう「多様性と平等」の尊さがいたるところにちりばめられているからだと思う。フィリップがドリスを気に入ったのは、車いす生活のフィリップに対していわゆる健常者として振舞ったこと、つまり、フィリップの身体がマヒしていると考えていないところだった。他の専門介護士はドリスのようにはしてこなかったと映画を観ていればわかるようになっている。ドリスがアホなだけなのではないかと言われれば否定はできないが、ドリスが好意を寄せていた女性が実はレズだったと知った時も相手が不愉快になるような言動をとっていない。さらに言えば恋愛に関してもハンディを気にするフィリップに対してドリスは行動あるのみだと促している。これらのことからも、彼はマイノリティに対して差別を行わない平等が根底にある人なのだ。(教養のなさでドイツ語を笑うシーンがあるが。)

 

 そんなドリスのことを「多様性を認める優しい青年だ」と思うだろうか。いや、自分はそうは思わない。ここからはあくまでTEN個人の感想であることを念頭に置いていて読み進めてほしい。

 

 ドリスのことを「多様性」という言葉では表現できないと考える理由、それは彼が人を区別をしているかどうかだと思う。うまく言葉で言い表せないが、自分は多様性を追求した先に平等があると考えている。つまり多様性と平等というのは別物だということ。

 

 まず多様性についてだか、「多様性を認める」という使い方をした場合を想定してほしい。目の前に肌の色が違う人たちがいたとして、そこにいる彼らをまずは区別しているのではないだろうか。つまり、「彼は(黒人だけど)、友達です」のように思考の中で相手を区別してから受け入れているというプロセスが多様性を認めるということではないだろうか。(いい例が思いつきません。)

f:id:ununkown:20200705004000p:plain

図で表すとこんな感じ。

 

伝われ~

 

多様性は、細分化したうえで「その人たちも同じグループです。」と言い表しているイメージ。そして平等は人として同じだと認識している状態。多様性を認めることが果たして区別された人間にとっていいのだろうか。

 

 

僕たちは意識の中で平等を目指すべきではないだろうか。

 

 

実際に平等を実現することは難しい。車いす生活の人が立て言われても無理なのと同じようにできないことはあるのだ。だから僕たちに必要なのは平等という意識をもって相手に対して接するということ。ドリスのように相手を特別視しないよう心がけるべきだ。相手ができないことに対して憐みの目を向けるのではなく、手を差し伸べ、引っ張って支えてやればいいだけなのだ。

 

 

 

 

 

 そんなことを思わずにはいられない素晴らしい映画だった。多少の悪さはあったも優しいドリスとなんだかんだドリスのことを助けてやるフィリップは本当に『最強のふたり』だ。特にパラグライダーと飛行機にシーンは面白いのでぜひ観てほしいと思う。

 

 

 

 

 

{おしまい}

 

 

 

 

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

ununkown.hatenablog.com

 

 

ununkown.hatenablog.com