2020年6月30日にまたここで会おう
どうもTENです。
今日は6月30日。
たまたまそれを思い出してこの本を読むことにしました。
「2020年6月30日にまたここで会おう」です。
2020年6月30日にまたここで会おう
今日は忘れないうちにこの本の感想を書いていきたいと思います。これは、瀧本哲史さんが東京大学で講演なされたときのいわば記録です。8年前の6月30日に10代、20代だった人たち300人に語ったもので少しでも世の中、あるいは身の回りの環境をよくしたいと思っている人たちに贈る2時間のメッセージです。この本の題名「2020年6月30日にまたここで会おう」は瀧本さんが講義の最後で仰った「8年後の今日ここで答え合わせをしましょう」という言葉がそのまま使われています。読み終えると胸が熱くなりました。
講義の内容は終始自分の頭で考えて行動しろ、というものになっています。これはまさにその通りで、最近の傾向として本からネット、ネットから動画に多くの人が流れているように思います。それに比例しているのでしょうか「成功するためのノウハウを教えます」だの「真実をお伝えします」だの、そのようなものに群がる人を見て簡単に答えを求めている人が多くなったと思います。でも瀧本さんはこれを「人の形をした猿」あるいは「奴隷」と呼んでいます。自分で考えない人は人ではない、まさに答えをすぐに求めたがる今の人達のことではないでしょうか。身近な例だと、自分でググればわかることを人に聞いたりすることだったりしませんかね。
瀧本さんはいわゆるほしい答えは言わないけれどヒントは与えてくれています。ここでは物事を多角的に見るためのリベラルアーツ(一般教養)の学習、言語化の重要性、ほかにも武器となるもの(交渉術とか)を猿にならないために、そして未来に何かするであろう20代に伝えています。特に交渉術は読んでいてとても面白かったです。妥協案とみせかけた論点のズレに気が付かず喜ぶ人がいるという話は、まさに自分に当てはまることだったので驚きました。武器(交渉術)を持っていればそんなことにはならないのに持ってない人が交渉をするからなめられるのだと。
ひぇ~。
ところで、武器と書いていますが実際に「2020年6月30日にまたここで会おう」や、他の本でも武器と書かれています。瀧本さんは軍事顧問だったらしくて、というのも軍事関係ではなく若者が社会に出た時に戦えるようにするために武器(考え方等)を広めているから軍事顧問らしいです。
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講義の終盤には自分が船員になりたいかそれとも船長になりたいかと問われます。問われるというか確認するというか。
そしてそのことについて、「ボン・ヴォヤージュ(bon voyage)」という言葉の説明があります。「よき航海を」というフランス語の挨拶なのですが、この言葉で胸が熱くなりました。これは船長同士の見送りの言葉で、船での意思決定権がない人には使われない言葉らしいのです。そして瀧本さんはこの言葉には敬意が表されてると言います。
自分の船を持っている船長っていうのは、リスクを自ら取っている人で、意思決定者なんです。航海において意思決定をする立場にない船員は、「ボン・ヴォヤージュ」って挨拶は、しないんですね。
で、航海中に船がすれ違って船長同士で挨拶をするときは、「あっ、あの船は、あちこちネズミに食われてるなー」とか、「そっちへ行くと嵐になるんじゃない?」とかって、お互いに思っていても、そういうことは絶対に言わないんですよ。
「俺たちはお互いに自分の判断でリスクを取っている」ということに対する敬意があるから、余計なことは言わずに、ただ「よき航海を」なんです。
相手が負うリスクも下した判断にも敬意を持って応える、ボン・ヴォヤージュ。素晴らしい言葉だ。
最後は
2020年6月30日に、またここで会いましょう。
で締めくくられている。僕は船長になることを目指してこの気持ち、言葉を忘れず今日からまた一歩踏み出していきたいと思う。
2020年6月30日にまたここで会おうを読み終えて
もうこの世にはいない瀧本さんに一度でも会いたかった。先ほど述べたボンヴォヤージュ、そして冒頭の猿の話、これはどれも「自責」という言葉がつながると思う。最近の自分は自責をテーマにして生きている。周りから見たらそうでもないかもしれないけれど。他責では自分の成長が見込めないと思う。そしてそれは自ら考えて試行錯誤することでしか得られないと思っている。本の中でも瀧本さんは人生の勝率は3パーセントだと言及されている。どうやら分母を増やすことでしか成功は生まれないらしい。でも97回失敗すれば必ずそこには成長があると自分は思うから、実質3勝以上はできる。知らんけど。
8年後の自分はどうなっているのだろう。これまでの8年間は楽しかったことも辛かったこともあった。当然まさか自分が、と思うような時間を過ごすこともあった。これからはどうだろう。自分が社会で軽やかに生きている状態なのかゲリラ戦を何とか戦い抜いているのか、それとも武器を落としてしまって殺されているのかもしれない。これまでの8年間が予測できないものだったのだからきっとこれからも予測なんてできないだろう。
ただここで言えるのは、自分の頭で考えて行動し、これからも自責をテーマにして生きていきたいということ。
ボン・ヴォヤージュ!!
{おしまい}
いつも読んでいただきありがとうございます。